この小論文は、2000年 5月に執筆し、日本基督教団出版局 発行の 『礼拝と音楽』 106号 (2000 Summer) に発表したものである。


オルガンのあゆみ
−−− 教会の内外でどのように発展してきたか −−−

大 林 徳吾郎

 パイプオルガンという楽器はあまりにも多岐にわたり、限られた紙面でその歴史を記すことは不可能に近い。海外のものも含めるならオルガンの解説書や歴史書は数多いが、各種のオルガンを公平に解説しかつ日本人の立場で書かれたものはないと思う。従ってここでは他書で述べられているような内容は思い切って切りつめ、通常は書かれない事実や社会的背景について触れてみたい。近世以後のオルガンは次第に芸術的・技術的な要素を強めると同時に相対的に高価なものとなったが、その製作が職業として成立せねばならないという矛盾をはらんでしまった。そのため、経済的また政治的な背景を無視してはオルガンという楽器を十分に理解できない。実際、オルガンが在る場所をヨーロッパの地図でプロットすると、経済的に潤っていた場所と見事に一致するのである。
 およそヨーロッパでオルガン関係の識者と話しをしていると、歴史を総括して自国のオルガン文化をいかに捉え、そこから自分たちの未来の姿をオルガンという楽器の中にいかに投影していくか、という視点に到達するのが常である。だが私は日本でそのような経験を持った覚えがほとんどない。

起源と発展

記録に現れる最古のオルガンは、紀元前3世紀のエジプトでクテシビオスが考案したとされるヒュドラウリスである。ローマ帝国の全盛時代にはこの種の小型オルガンが劇場や闘技場などで広く使われるようになり、各地から出土する碑文などにその様子が描かれている。帝国の分裂後は新しい東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを中心に、宮廷など限られた世俗の場所でオルガンは珍重された。権力の象徴として、あるいは外交のしるしとして、ビザンツ帝国は757年にフランク国王ピピンへ、そして812年にはシャルルマーニュへオルガンを贈った。また、ジェオルジウスという司祭が826年、アーヘンへ派遣されてオルガンを設置した。だが初期キリスト教は贅沢なものを禁じ、また典礼では楽器の使用を認めなかったので、これらのオルガンも教会の典礼とは無関係のものだったようだ。
 しかし9世紀には教会の考えにも変化が現れた。ベネディクト会が文化教育活動に熱心だったことも相まって、オルガンはまず大きな修道院から普及していった。11世紀には各地の修道院にかなりのオルガンが設置された。だがオルガンが典礼用のものかどうかを示す資料は12世紀になっても現れない。音楽教育のためか、あるいは典礼を知らせる合図として使われたのだろうか? 加えて13世紀末までには各地の大聖堂にもオルガンが設置され、そこでは聖職者の歌と交互に演奏されるという形(アルテルナティム)でオルガンは教会内の典礼にしっかりと根を下ろした。15世紀初めには西ヨーロッパのほとんどの大教会でオルガンを見ることができた。
 15世紀前半にディジョンでアルノ・ド・ズヴォレが著した理論書はオルガン建造の最初の重要な技術的資料であるが、その記述からは開発途上の楽器といった印象は拭えない。だがすでに15世紀末の北ドイツでは小さな教会にまでオルガンは普及しており、これは中〜北部ドイツでは工業や交易が盛んだったからだろう。コンペニウスが非常に凝ったオルガンをヘッセン城に完成したのは1610年。これは後に作者自身の手でデンマークの城に移築されたが、今なお当時の状態で毎週演奏されている。世俗目的の楽器だが、その周到な設計と工作の見事さは現在の技術をもっても到達できない水準に達しており、驚嘆に値する。つまり15〜16世紀はオルガン製作術が空前絶後の飛躍的発展を遂げた時代だったのだ。その過程は16世紀オランダの様々なオルガン仕様書を見れば明らかだが、この時期ほどオルガン製作が豊かな想像力と結びついていた時代はなかった。
 その後20世紀初めまでは、やや乱暴な言い方をするならばヨーロッパの各地域ごとに独自の様式(特に音色理念)が発展し、地域内ではその規格が統一される一方で、地域間においては時代とともに様式の違いが顕著になる。もちろんこれは、オルガンの使われ方が各地域で独自の色合いを帯びてきたということでもある。例えば大陸から地理的に隔離していた英国では、オルガンは早くから導入されていたが長い間、ペダル鍵盤さえ持たない小型の楽器に留まっていた。にも拘わらず18世紀初めには他国に100年以上先駆けて本格的なスウェル装置を持った。それは英国の音楽が叙情的な旋律に長けていることと表裏一体なのである。
 さて17世紀以後で唯一、オルガン製作が大きく変質した時期がある。1830年から約100年間、オルガンにおけるロマン派の時代だ。チェンバロがピアノに取って代わられたようにこの時オルガンも変貌を遂げ、ようやく現代楽器としての機能を獲得した。特に産業革命を最初に成し遂げた英国では、19世紀後半のオルガン製作は量・質ともに他国を凌駕した。続いて1920年代を中心に20世紀前半、米国が経済的に台頭するとオルガンもまたそこで著しい発達を遂げた。
 大陸では両大戦間にドイツで起こった『オルガン改革運動』が17〜18世紀の特に北ドイツのオルガン様式に関する認識を深め、その結果これらに関しては一部で優れた楽器が製作されるようになったものの、それから遠く離れた時代や地域の様式に関しては、却ってこれを疎んじるような風潮が生まれたことは否定できない。そして現在、欧州ではオルガン新造の需要は著しく減った。時代様式に即した古典的な楽器が一部で製作されているが、これはむしろ伝統が連続している場所でこそ意義がある。大方においては統一世界様式とでも言うべき没個性的な楽器が席巻しているのではないだろうか? オルガン製作が盛んだった時代には、「過去」の様式に従うなどということはなかった。即興演奏と不可分なオルガンという楽器にとって、新しい楽器様式音楽とが呼応しあうことによって常に過去にはなかった可能性が追求されたからである。未来に対するヴェクトルを失った今日のオルガンに、再び黄金時代が到来することはあるのだろうか。

教会におけるオルガンの使用

 キリスト教会におけるオルガンの使用は3つに大別される。 (1) 東方教会:ギリシャ正教を受け入れたロシアを含め、基本的に初期キリスト教の典礼を保っている東方教会の諸国・地域では一貫して過去1600年間、オルガン等の楽器が典礼に使わたことはない。 (2) カトリック教会: オルガンの使用はアルテルナティム(聖歌隊の単旋聖歌に対してオルガンがポリフォニー部分を受け持つ)という形で14世紀頃から典礼に深く関わるようになった。今日でも基本的にこの形は変わらない。16〜17世紀の南ヨーロッパの典礼用オルガン音楽はほとんど、このような状況で演奏されるべきものと考えられる。 (3) プロテスタント:言葉と音符の結びつきを重視したルターは、オルガンの使用に関して特に肯定的であったわけではないが、ルター派の教会では旋律を上声部に置いたホモフォニックな声楽作品をオルガンが通奏低音として伴奏する、というコラール形式が確立した。オルガン曲は会衆のコラールと結びついて重要な役割を果たすようになり、それと並行して北ドイツのオルガンは会衆の歌を伴奏するのに適した音色やペダル鍵盤の機能を獲得した。このようなオルガンを駆使して充実した音楽を書いた最初の作曲家がザミュエル・シャイトである。(なお、カルヴァン派のオランダや英国教会での使われ方は他のプロテスタントとはさらに異なる。)
 最初に述べたように経済的な基盤がなければオルガンは普及しない。北海沿岸地方やアルザスではあらゆる小村にまでオルガンが設置されている。一方、フランスはルイ王朝時代に中央集権化が進んだこともあって、地方の山間部の小教会などにはオルガンは設置されていない。

オルガンの受難

カトリックやプロテスタントの教会に導入されたオルガンも常に平坦な道を歩んできたわけではない。15〜16世紀はオルガンが楽器として飛躍的な発達を遂げた時代だが、宗教騒乱によって少なからず被害を蒙った期間でもあった。16世紀末のオランダではスペインからの独立に際し、オルガンはカルヴィン派の多い地方でカトリックの象徴と見なされて犠牲になった。英国では17世紀のピューリタン革命に際して取り外されたり破壊されたりした。フランスでは1789年の革命後、教会財産が国民議会に没収されオルガンもまた50年間顧みられることがなかった。第二次大戦では、侵略したナチスがアルザス地方でオルガンの前面パイプを悉く供出させ兵器に転用してしまった。おそらくはギリシャやローマの時代から、そしてピピンがオルガンを受け取ったときから、この楽器は宗教よりも政治や紛争とより多くの関わり合いを持ってきたのではないかとさえ思えるほどなのだ。

世俗のオルガン

 過去千年にわたって主に教会の中で発展したオルガンであったが、ポジティフ、ポルタティフ、レガールといった小型のものは15〜17世紀には宮廷での祝宴演奏など、娯楽においてよく使われた。17世紀後半から18世紀になると、イタリアや英国では公共の劇場やコンサート会場、貴族の館や城、などにオルガンが設置されるようになった。特に19世紀後半から数十年間、英国では経済的繁栄を背景に各地に公会堂が建設され、ここへオルガンを設置することが市民の誇りとなった。
 20世紀初頭には近代の世俗オルガンとして全く新しい様式のものが生まれた。それは米国のワーリッツァー社が開発したシアター(シネマ)オルガンで、少数のパイプ数で劇的な音色変化が得られ、各種の打楽器や効果音なども持っていた。米国や欧州でサイレント映画が上映される場合には、シアターオルガンで伴奏されることが多かった。即興の利かないオーケストラに対して、熟練したオルガニストよる演奏の方が適していることは明らかだった。1920年代後半はシアターオルガン奏者の全盛期で、彼らは映画とは無関係に劇場で演奏し多数の聴衆を魅了した。英国のレジナルド・フォートは5段鍵盤30トンの大型オルガンを米国に発注し、企業(歯磨きの会社)をスポンサーに得て4台の大型トラックと15名のスタッフとともに、自国はもとよりヨーロッパ各地を演奏して廻った。最もヒットした彼のレコードは、300万枚以上の売り上げを記録したという。
 トーキーの到来によって廃れていったものの、シアターオルガンは今日なお根強い人気を持ち続け、米国では教会やコンサートホールを中心とするクラシックオルガンよりも多くの聴衆を保っている。だが日本では海外のサイレント映画が、一般的に欧米で行われていたようにオルガン演奏を伴って上映されたことさえないようだ。

見かけと楽器としての価値

 南仏のアルビ大聖堂は要塞化された教会建築として有名だが、外観は鈍重な岩の塊と言った風情である。中に足を踏み入れると対照的に、細密画風のフレスコが天井一面に展開し美しさに目を奪われる。西端のオルガンはフランスで恐らく最もスケールの大きい外観を持つものだろう。これはムシュレルが1736年に製作したものだが、よく調べてみるとわずか11年後に別の製作者レピーヌが主要部分をすっかり作り直している。また、アルビからほど近いナルボンヌの大聖堂にもムシュレルは同じような立派なオルガンを納め、同様に20年あまりで教会はその価格のさらに5割以上を払ってレピーヌに作り直させている。まさか二人の製作者が協力して大儲けしたわけではあるまい。ムシュレルは商売人ではあったが製作家としては二流以下だったのである。ナルボンヌでは後日談があり、レピーヌの改造は大失敗だとオルガニストは主張した。不審を抱いた教会当局は著名な理論家兼製作家ベドス師に鑑定を依頼する。彼は自分が今までに診た最も優れたオルガンの一つであると報告したので、オルガニストは即刻任を解かれた。だがこの類の話しが一般の解説書に書かれることはまずない。せいぜい、教会が金を払ってくれないのを腹いせにビルダーが音が鳴らないように細工した、といった当たり障りのない逸話はよくある。アルビとナルボンヌの話しは深刻過ぎて、教会にとってもその地域にとっても都合のいいものではないのだろう。アルビの聖堂内で売っているパンフレットには、いかにもムシュレルが偉大な製作者であるかのように紹介されている。  オルガンというものは非常に高価でかつ複雑だからその評価、特に音や機能に関しては素人には判断が難い。また、演奏者が的確な判断を下せるかというとそうでもないことは、ベドスがその有名な大著で論じている。オルガンを発注するのは政治的・経済的な力を持った人たちではあっても、彼らがオルガンに対して素人であることは今も昔も変わらない。視的デザインについては、多少の教養がある人ならある程度の判断はできるので、結局外観や表面的な機能などが発注に際しての判断基準になることが多い。18世紀のスペインではオルガンの価格の半分以上がファサードやその彫刻で占められることは珍しくなかった。一方、私見ではロマン派の、特に英国の楽器では外観の質素なものやあるいはファサードを全く持たないオルガンにむしろ優れたものがある。
 日本の史書に登場する英雄の多くは後世の書き手が体制に有利なように脚色あるいは捏造したものだという。オルガン史の解説書は多数あるが、その記述の裏にはとんでもない事実が隠されているかもしれない。批判的精神を持って史書を紐解くなら、時間的また地理的な多様性の中にこの楽器の本質が隠されており、それはまた、分化した人間の営みを示すものとして興味深い。環境が育んだ様式、それが風土であり文化である。翻って現状を鑑みると、我々は歴史から何も学ばなかったかのように今、世界中で個性のない一様なオルガンが製作されているように思われる。情報化社会がもたらした弊害であるが、オルガンという楽器の本質が理解されていない証しでもある。伝統のない日本では自発的なオルガン風土そのものが育まれておらず、西洋の植民地状態から一歩も抜け出していない。西暦2000年という時点とわが国の風土を反映したオルガンはあるのだろうか。過去半世紀の間にオルガンの数は増えたが、その文化的基盤は我々の先祖が400年前に竹のパイプを使ってオルガンを作った頃よりも後退している。オルガンほど自由に設計でき用途に柔軟に対応できる楽器はないのだが、それとは逆に、何の分別もなくひたすら過去の伝統に従わなければならない正統な理由があるのだろうか? この点で教会用の楽器とコンサート用の楽器とはもっと明確に区別されるのではないか? でなければなぜ故にオルガンが注文製作の楽器でなければならないのか?
 オルガンの歴史を深く掘り下げるほどに、今日ほど想像力が枯渇した時代はなかったのではないかと思われてしかたがない。日本ではハード優先でソフトがついてこないのが常だが、何のためにどのようなオルガンが必要なのか、この際よく考えてみる必要があるだろう。
 16〜17世紀には南北アメリカにもかなりのオルガンが設置されたが、中南米ではその殆どは時代を経て使われなくなってしまった。オルガン製作自身が根付かなかったからである。われわれはその轍を踏むのだろうか?

(おおばやし とくごろう ・ オルガン設計建造家)